みなさん、こんにちは。

ソウルは、連日肌寒い日が続いています。
ちょうど季節の変わり目になり、天気の変化が激しい時期ですね。
けれども、ずっと氷点下であった真冬と比べると大分温かくなったものです。
そろそろ春に向けて気温も温かくなっていくのでしょう。

さて今回は、ユネスコ世界文化遺産の一つである【朝鮮王陵(チョソンワンルン/조선왕릉)】をご紹介します。韓国には各地にユネスコ世界文化遺産に指定された史跡や文化財などが点在していますが、今回ご紹介する【朝鮮王陵(チョソンワンルン/조선왕릉)】は、朝鮮王朝時代の歴代王や王位の王陵になります。 
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西五陵(ソオルン)は、ソウルから北西にある京畿道(キョンギド)高陽市(コヤンシ)の地域に位置されています。近くには大きな車道がありますが、朝鮮王陵の中は自然に囲まれていて人数少なく静かです。

朝鮮王陵は、朝鮮王朝時代の歴代王族の王陵になり、1408年から1966年のおよそ5世紀にわたって造られました。2009年にユネスコ世界文化遺産として韓国で9番目に登録されました。
朝鮮王陵では、明陵(ミョンルン)、綏慶園(スギョンウォン)、翼陵(イクルン)、順昌園(スンチャンウォン)、敬陵(キョンルン)、大嬪墓(デニンミョ)、弘陵(ホンルン)、昌陵(チャンルン)が位置する神聖な場所になります。 また本来、西五陵とは「敬陵、昌陵、明陵、翼陵、弘陵」を指します。
入場料は、お一人 1000ウォンになります。

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まず初めに、上記の写真が【明陵(ミョンルン/명릉)】になります。
朝鮮王陵は、入り口が二つに分かれていて、この明陵のみが他の陵の入り口とは違う場所になります。

ここは、朝鮮王朝の第19代国王であった肅宗(スクチョン)とその継妃である仁顕王后(イニョンワンフ)、二番目の継妃である仁元王后(インウォンワンフ)の陵になります。
肅宗(スクチョン)や仁顕王后(イニョンワンフ)は、韓国の時代劇ドラマの「同伊(トンイ)」をご覧になられた方ですとすぐにお分かりになるのではないでしょうか?

上記の写真では見難いですが、一度仁顕王后(イニョンワンフ)は廃庶人となりましたが、再び復位したので、肅宗(スクチョン)の陵と隣り合わせにあります。
そして、仁顕王后(イニョンワンフ)は左側に単陵になっています。 
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明陵とは異なる他の入り口から入り、並木道を進んで行くと【順昌園(スンチャンウォン/순창원)】が見えてきます。

順昌陵は、朝鮮王朝の第13代国王であった明宗(ミョンジョン)の長男の順懐世子(スニセジャ)と恭懐嬪(コンフィビン)の陵になります。
王世子の陵として造られたので、土を盛り上げた墓の回りに欄干と屏風石がなく、小さくて簡単な造りとなっています。.
順昌園は1563年に順懐世子が13歳になくなったことで造られました。その29年後である1592年に恭懐嬪が亡くなり順昌園に合葬されました。  
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そして道なりに進んで行くと【敬陵(キョンルン/경릉)】があります。

敬陵は、死後に王となった追尊王の徳宗(トクジョン)とその王妃である昭恵王后韓氏(ソヘワンフハンシ)の陵になります。
一つ以上の陵が同じ陵号として使われそれぞれ違う丘として造成されています。(同原異岡陵) 本来、陵は王が右側、王妃が左に配置されるのが一般的ですが、敬陵の場合は右側が王、左側が王妃というように配置されています。
王妃は息子の成宗(ソンジョン)が即位した際に「昭恵王后」と追尊された後、「仁粋大妃(インステビ)」となり、王陵のように造られているのです。

「仁粋大妃」はドラマ「王と妃」の舞台としてもよく知られていますね。
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そしてその次は、【綏慶園(スギョンウォン/수경원)】になります。

朝鮮王朝の第21代国王の英祖の後宮でであり、思悼世子(サドセジャ)の母である暎嬪李氏の墓になります。
ドラマ「イ・サン」のストーリーでもお馴染みの正祖の父である思悼世子(サドセジャ)の母の墓になります。
昔はこの墓は現在のソウル新村(シンチョン)に造られましたが、1968年6月に西五陵(ソオルン)に移されました。

朝鮮王陵は他にも王や王妃の陵がありますが、今回はその一部を紹介させて頂きました。
朝鮮時代の王や王妃の墓ということでとても静かに佇んでいました。
多くの木々に囲まれていて、以外に広く、全て見て歩くのに約1時間以上程かかりました。
ソウルの中心部より約30分程の距離になり、とても近いので是非皆さんも訪れてみてくださいね。

ソウルツアーでした。