ソウル(鍾路区/中区/龍山区) | ソウルツアー | Page 2

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開川と呼ばれてきたものが日本植民地の時、「清渓川(チョンゲチョン)」と呼ばれ始めた。ソウルの中心に位置していて、昔から地理・政治・社会・文化的に区分する象徴的な境目にもなっている。きちんと管理されず放置してきた清渓川は、生態系の復元と共に自然と調和するソウルを目指して2003年7月1日からやり始めた清渓川復元事業は5.84kmを復元、2年3ヶ月ぶりに2005年9月30日に完工した。総3,900億を...
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昌徳宮は朝鮮時代の宮廷の一つで、1405年完工されたが、1592年壬辰倭亂の時焼失したものを1607年から建て直し1610年に再建した。始めは法宮(王が住む第一の宮廷)である景福宮に引き続き離宮として創建されたが、壬辰倭亂の時、景福宮・昌慶宮と共に焼失された後、一番先に復元され景福宮が復帰するまで約300余年法宮として使用された。日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(...
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景福宮内に位置している国立民俗博物館は総面積約1万2850坪で、地下1階、地上3階で構成され1975年4月11日に開館した。地下1階は遺物を保管する収蔵庫、1階は中央ホールと3つの常設展示館及び講堂、2階は行政室、3階は民俗資料が閲覧出来る図書館機能の図書閲覧室があり、野外展示場にも興味深いものがいっぱい展示されている。韓国の祝日には韓国伝統芸能などの公園、韓国文化体験などのイベントも行われている...
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三清洞(サムチョンドン)という名前は道教の太清・上清・玉清3位を祀る三清殿がここにあったことから名前が付けられたという説がある。 路地ごとにお洒落なカフェと個性溢れるショップがずらりと並んでいて、週末になると若者たち、特にディカ族(デジタルカメラを持ち歩く人達の指し示す言葉)が溢れる所でもある。隅の方に隠れているものの、美味しさで評判のお店がその命脈を保っていて中年の郷愁を誘っている。 そして、三...
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1945年9月朝鮮総督府の博物館を引き取り改編を行い、韓国初の国立博物館を設置し、南山、徳寿宮、景福宮などを経てから今の龍山へ移転し開館したのが2005年10月28日のこと。博物館建物も大変特徴的で、博物館の屋外は公園のように広く整備されている。 韓国最大の博物館と呼ばれるほどの規模を誇る国立中央博物館は地下1階、地上6階に常設展示室、特別展示室、文化芸術体験空間である劇場「“龍”(YONG)」な...
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景福宮はソウルの5大宮の一つで、朝鮮王朝第一の正宮として600年の歴史がある。1395年太祖・李成桂が高麗の首都を移転した際に新しい王朝の宮殿として創建した。1592年壬辰倭亂の際に焼失したが、1868年高宗の時に再建した。興宣大院君の主導により再建された際には景福宮は、330棟の建物がびっしりと立ち並ぶ雄大な姿であった。宮廷内には王と役人たちの政務施設、王族たちの生活空間、休息のための庭園施設を...
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朝鮮王朝時代後期の宮殿の一つで、1616年建立当時は慶徳宮と称したが、1760年に慶熙宮と改称した。ソウルの西側に位置していることから、西宮とも呼ばれている。離宮(有事の際に王が避難したところ)で建てられたが、李适の乱が起こり昌慶宮が焼失されると、1624年2月から慶熙宮に住み始め、この時期から慶熙宮は280余年間、色々な王の居所として使われる。朝鮮時代の仁祖から哲宗に及ぶ10代の王が居住した所。...
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Nソウルタワーは1969年、TVやラジオの電波送信のため、海抜479.7mの南山に236.7mの高さで建てられた韓国最初の総合電波塔で、南山公園内の頂上付近にある。 1980年、一般の人に公開されて以来、内外国人・老若男女を問わず愛されているソウルのランドマーク的スポット。 2005年12月、リノベーション後Nソウルタワーとして再オープンし、展望台・レストラン・ギフトショップなど市民の憩いの場でも...
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雲峴宮は正式な宮殿ではなく、朝鮮末期、王族の親族である興宣大院君(フンソンデウォングン)の私邸であり、朝鮮26代王こと高宗(コジョン)の潜邸(王になる前まで出生・生活する場所)である。 また、高宗と明成皇后(ミョンソンファンフ)の結婚式が行われ、 明成皇后の王妃修行も行われた。もともとは2万坪を超える邸宅だったが、高宗が王に即位後拡張、新築して‘宮’と呼ばれ始めた。この時から 雲峴宮は4つの大門を...
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仁寺洞はソウルの中心部に位置し、朝鮮王朝時代には王宮に勤める両班(ヤンバン)が住む屋敷が立ち並んでいた。「仁寺洞」という名称は朝鮮時代の行政府である「寬仁坊(カンインバン)」と「大寺洞(テサドン)」から真ん中の「仁」と「寺」を一つずつとって読み始め、今は鐘路(ジョンノ)2街から仁寺洞を含め、寬勳洞(カンヌンドン)の北側の安国洞交差点までが仁寺洞と言われている。19世紀末に困窮した両班たちが、伝来の...
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